Babauoù in Private Notes

アマチュア音楽ユニット、Babauoùに所属するKunio (Josh) Yoshikawaの雑記帳です。 我々のFacebook "Babauoù Book”にもどうぞお越しください。

加藤和彦さん逝去


加藤和彦さんが亡くなってしまいました。


友人達からのメールで土曜日のかなり早い時間に知ったのですが、すぐに何かを書くことができませんでした。
ジョン・レノンが亡くなった時に限りなく近いショックを受けています。


私にとって、とても大きな存在でした。
ビートルズのアティテュードを日本でもっとも早く実践してみせた人だと思います。


幸運なことに、彼と一度だけ一緒に音楽づくりをしたことがあります。私の本業に関連する音楽を依頼したのですが、予算が足りずにあきらめようとした私に「この仕事はやりたいから、必要経費とミキサーのギャラだけ何とかしてくれればそれでいい」と言ってくれ、彼自身のギャラは持ち出しにしてくれてしまいました。
そして、節約のために作曲からミックスまでを三日でやるということになり、私は彼のスタジオで三日間、仮眠する時間以外はずっと一緒に音楽作りの作業をしました。


加藤さんは、プロの音楽家でもない私の意見・感想を常に尋ねてくれ、私のレスポンスから必ず何かを見つけて音楽に反映してくれました。私は、彼ほどのミュージシャンが私ごときの言葉に真剣に耳を傾けてくれることに驚き、その会話から必ず何か新しい音を見つけだしてくれる凄さにあらためて感動し、これ以上ない幸せな3日間を過ごしました。4日めの早朝、加藤さんと別れ、事務所に帰るミキサーに車で職場まで送ってもらい、定時に集合したスタッフにできたての音楽を聞かせた時の誇らしい気持ちを今も忘れることができません。


私の目に映った実際の加藤さんは、とても優しく、あらゆる音楽を愛し、古いものの魅力を知り尽くし、新しいものを常に追い求めるポジティブな情熱家でした。


そして、周りの人に愛情を惜しみなく注ぐ分、無類の寂しがり屋だということも伝わってきました。一人ではダメな人だったと思います。ちょっとポール・マッカートニーに似ているかもしれません。おしどり夫婦だった安井かずみさんが病気で亡くなってしまった一年後に再婚した時、いろいろ言われたりもしましたが、リンダを亡くした後のポールと同じ気持ちだったのではないかと思います。


その加藤さんが一人で亡くなってしまった。
私ごときに何かできたわけもないのですが、「いつでもまた一緒にやりましょう」と言ってくれた言葉が胸の奥に刺さっています。


近年、自分の音楽的財産の総決算を次々に成し遂げていた加藤さんは、大きな仕事をあらかた片づけてしまって、ふといつも一緒にいた安井かずみさんのところに行きたくなってしまったのかもしれません。


音楽ファンの一人として、加藤さんの素晴らしい音楽を次の世代にも必ず伝えていきたいと思います。


※関連エントリ「トノバン、ワイラー、そしてビートルズ」