Babauoù in Private Notes

アマチュア音楽ユニット、Babauoùに所属するKunio (Josh) Yoshikawaの雑記帳です。 我々のFacebook "Babauoù Book”にもどうぞお越しください。

「王様と私」渡辺謙 as The King


 ブロードウェイで、短期のイベントではなく、通常のロングランのプログラムで日本人俳優が主役を張る。渡辺謙さんがブロードウェイのリンカーン・センターの劇場で「王様と私」のキングを演じることになったというニュースを聞いて、とても驚くと同時に嬉しくなりました。すでに「世界の渡辺謙」と言われる十分な実績を映画で積んできた謙さんですが、ブロードウェイ、しかもミュージカルで主役を演じるというのは一体どれほどのチャレンジになるのか。その瞬間をどうしても見届けなければ、と思って、ゴールデンウィークのNY行きを決めました。


 渡辺謙さん自身もオファーを受けた時「できるわけがないだろう」と思ったそうです。しかし、説得に来た演出のバートレット・シャーさんに「何故自分なのか?」と尋ねたとき、「求めているのはダンサーでもシンガーでもない。『キング』が欲しいんだ」と口説かれ、その言葉に打たれてチャレンジすることを決めたのだとか。



 「王様と私」は言わずと知れたロジャーズ&ハマースタインの代表作のひとつです。1951年にブロードウェイ初演。初演からキングを演じるユル・ブリンナーの当たり役としても知られていて、彼は生涯に4500回以上もブロードウェイでこの役を演じました。1956年にデボラ・カーとの共演で制作された映画も有名です。日本人はほとんどこの映画でこの作品を知ったのではないでしょうか。クライマックスで歌われる”Shall We Dance”は聴けば知らぬ人がいないほどの名曲です。しかし、初演から64年経ったこの作品を今ブロードウェイで再演する意味とは?いろいろな観点で興味深い作品だと感じました。


 リンカーン・センターは文化振興を目的としたNPO。後で聞きましたが、非営利であるが故に、常識的なチケット代の範囲内で30人のオーケストラを雇えたのだそうです。利益を出さなければならない劇場では、今や生のフル・オーケストラで上演できることはほとんどないのだとか。「文化」を育む上で、リンカーン・センターのような場があることはとても大事だと思います。


 座席はちょうど真ん中くらいでしたが、観客席は、最後列でもオペラグラスが不要なくらいの広さでした。全ての席からお芝居を見やすく設計されている印象です。セットは映画のように豪華絢爛ではなく、かなりシンプル。大きな柱と布をダイナミックに使い、照明効果とうまく組み合わせて威厳と迫力を出していました。このシンプルさと引き替えに、役者が大きく動けるスペースが増え、これもかえってお芝居全体のダイナミックな印象を醸し出すために貢献していました。奥行きのあるセット一杯を使ってくるくると踊るShall We Danceの躍動感もこの設計の賜物でした。



 お芝居は、冒頭から渡辺謙さんの存在感が出ていました。彼は日本人としてはかなり長身で、かつ周りも多くがアジア人のキャストなので、共演者の中に立っているだけでも、とても目立ちます。もう一人の主役、英国人家庭教師・アンナ役のケリー・オハラさんは、歌も演技も素晴らしく的確でトニー賞6回ノミネートという実績も頷けました。二人のコンビネーションはぴったりで、長年共演してきたカップルのよう。長期間の公演で、毎日ずっと一緒に過ごしていることの効果もあるのかもしれません。二人を中心にした弾むようなテンポ感が楽しく、舞台を囲むような観客席とのコール&レスポンスの一体感も印象的でした。観客の拍手やどよめき、そして息を呑むタイミングが、役者たちにも響き、芝居の質をさらに一段押し上げていたように思います。およそ三時間のステージが本当にあっと言う間でした。


 何よりも大きいと思ったのは、2015年版「王様と私」が、ユル・ブリンナーの映画版では十分に見えてこなかった「異文化同士の不寛容と相互理解」の物語にしっかりとなっていたこと。アメリカ人がアメリカ人ではないフリをするのと全く違って、渡辺謙が日本人であることがあらかじめ「異文化の障壁を乗り越える」というテーマにぴったり合っていました。異文化間コミュニケーションの本当の壁と、それを打ち破りたい人々の思いがリアルに伝わって、映画版よりも数段深いものになっていたと思います。


 物語の終盤、脱走しようとしたタプティム(ビルマからシャム王に献上された女性)が捕縛され、彼女を法に従って鞭打とうとするシャム王をアンナが止め、そのことでシャム王が、王としての自我を崩壊させてしまう、という場面があります。その結果、王は心痛が身体を蝕み、死の床に伏すことになるのですが、映画版ではかなり強引な展開に思えて、ずっと納得できなかったところでした。ユル・ブリンナーの演技が王の強さを誇示するあまり、その突然の崩壊に説得力が欠けてしまうのです。急すぎる展開はブリンナーだけの責任で無く、脚本自体の瑕疵だとも言われてきました。
 しかし、渡辺謙のシャム王は、堂々と王としての誇りを体現する一方で、一人の人間として理想を求める純粋な心をもち、それゆえに傷つきやすい一面を備える男として演じられていきます。アンナの人道的な訴えによって、厳格に為さねばならぬ処刑を遂行できなくなり、それゆえに王として生き続けることを自らに許せなくなるシャム王。謙さんの演技は、その引き裂かれた心情に強い説得力をもたらしていました。



 “Shall We Dance” では、不覚にも涙がこぼれました。異文化の障壁を乗り越え、手を携えて英国外交官接待の大イベントを乗り切って、ようやくお互いへのシンパシーを分かち合った二人。ダンスを通して、互いが男と女であることも、初めて意識する。しかし、それは決して露わに出来ない感情であることも二人はよくわかっています。ここでの二人の繊細な仕草と表情の表現が素晴らしい。そして、成就するはずのない恋を心の内に収めた上で、見つめあい、微笑みあいながらとても楽しそうに踊る二人が本当に切ない。”Shall We Dance”がこんな切ない場面だったなんて…。大人の恋の描き方としては最上の表現のひとつなのではないかとすら感じました。もし、実はオスカー・ハマースタイン二世が最初からこれを狙っていたのだとしたら、本当に恐ろしいことです。残念ながらユル・ブリンナーは自己愛が強すぎてそこにたどり着かなかったということなのかもしれません。そうすると、渡辺謙が初めてブロードウェイで正しいシャム王を演じたことになるのかも。だとしたら、それは大変なことです。


 日本で一部言われた謙さんの英語の発音について。西洋文化を初めて採り入れようとしたシャム王の物語なのだから、ユル・ブリンナーの映画版の芝居を観てもわかる通り、シャム人たちがアジア訛りのたどたどしい英語を話すのが前提の作品です。今回の舞台では、英語ネイティブでないからこそ、もっとも無理のないアジア訛りの英語を話しているのが謙さんでした。他の人はほとんど母国語が英語なので、東京人が東北弁風に喋る、みたいな感じになります。それはそれで芝居だから構わないのですが、アジア風に喋るというのもなかなか一筋縄ではいかないようで、ネイティブの役者たちはそれぞれ苦労しているのが見て取れました。周りの気配からも、謙さんのセリフを聞き取りにくそうにしているお客さんは皆無。もともと脚本にあるおぼつかない英語の表現(et ceteraの過剰な多用とか)もユーモアに満ちて大いにウケをとっていました。


 もうひとつ気付いたのが謙さんの所作の美しさです。時代劇で身につけたしなやかな足のさばき。座るときの威厳ある動きや凛とした姿勢。この形はアメリカにはないものです。ブロードウェイの振付師が知らないステップ。そんなところにも、渡辺謙がキャスティングされたことで生まれた、この舞台の広がりと深みがありました。



 渡辺謙のシャム王は、その眼差しに強い威光と、同時に憂いをたたえ、そして、子供のような茶目っ気たっぷりのユーモア精神を持ち、我が子達をはじめ、その場のあらゆる者を惜しみなく愛する優しさを持つ。それは、我々が昔からよく知っている渡辺謙そのものです。そして、それがそのまま「王様と私」のキングの魅力になっていました。
“powerfully seductive”
「力強く魅惑的」
今、劇評からの引用でPRに使われている、渡辺謙を形容する言葉です。
まさにその通り。トニー賞候補に渡辺謙の名前があるのは当然です。彼はそれだけの挑戦と仕事をしたと思いました。


 これは謙さんと共に、謙さんをキングにしようとした演出のバートレット・シャーの大変な功績だと思います。映画「バードマン」でも描かれているように、ブロードウェイは、部外者の安易な参入にはとても厳しいようです。ましてや外国人の男優を主役に抜擢するのは、よほどの覚悟が必要だったことでしょう。


 そのチャレンジの結果として、2015年版「王様と私」は、64年前のミュージカルの懐古的な再演ではなく、異文化の相互理解の重要性と難しさを象徴的に描く、今こそ最もタイムリーな問題提起をはらんだリバイバルとなっていました。その社会性・今日性が描き出せれば、あとはリチャード・ロジャーズ&オスカー・ハマースタイン二世の本当に素晴らしい不滅の名曲の数々によって、現代の一級エンターテインメントとして仕上がるのは当然でした。「王様と私」は、渡辺謙さんを始め全9部門でトニー賞にノミネートされています。


 終演後、ステージドアの傍でしばらく立っていると、次々とキャストが帰っていき、ほぼ最後に渡辺謙さんが現れました。その途端に、わーっと人だかりが。日本人のお客さんも居たけれど、多くはアメリカ人の観客でした。「あなたは本物の王様だった!」「信じられないくらい素晴らしかった!」絶賛の嵐を浴びながら、一人一人に丁寧に対応してサインし、一緒に写真を撮る謙さん。その誠実さが心に響いて、お客さんたちからはさらに賞賛されていました。その様子を見ていてとても誇らしい気持ちになりました。