Babauoù in Private Notes

アマチュア音楽ユニット、Babauoùに所属するKunio (Josh) Yoshikawaの雑記帳です。 我々のFacebook "Babauoù Book”にもどうぞお越しください。

「Rock Show」忘れていた原点



駆け込みで「Rock Show」を観てきました。
今日、Blu-ray盤が家に届きましたが、それはまた別のお話。
やはり映画館でどうしても観たかったのです。
先に見た友人たちの感想をあちこちで聞いていて、きっと自分もグッと来るだろうとは思っていたのですが、それ以上でした。


最初は懐かしい!と思ってひたっていたのですが、
"Lady Madonna"の前フリをポールが語り出したあたりから涙腺が緩んできて、自分の心が32年前にタイムスリップしてしまいました。


映画館でこのライブフィルムを観たのは1981年。
ポール逮捕に始まってジョンの死で幕を下ろした前年の凄まじい喪失感からまだ立ち直れていなかった頃でした。
春に高校を卒業した時、高校一年生の時に結成したバンドを再編成して存続させようとSatoruと決めていたのですが、諸事情により一年間はお預け。
そんな時期に、ポールからのプレゼントは届きました。
翌春の活動再開から正式に鍵盤担当としてBabaouoに参加してくれることになったAyaを誘って観に行ったことまでは覚えていたのですが、その時何を感じたのだったか今日映画館で思い出しました。


ウイングスが魅力的な新曲を次々に送り出す現在進行形のバンドであっただけでなく、当時、後期ビートルズの曲を世界で一番カッコよく演奏できるライブバンドだったこと。
……ビートルズ後期のサウンドを生演奏することを目指したバンドはシカゴを始めたくさんあったと思うのですが、封印していた本人が本気でカバーしたらそれを軽々と超えてしまった、と。もちろん数年前にLPでは既に聞いていたわけですが、映画館で観た映像にはそれ以上のインパクトがありました。


ポップであることに怯まずにロックバンドを成り立たせることができると信じさせてくれたこと。
……「ポップであることはロックじゃない」という文脈がまだ当時は根強かったと思います。ポップであることは大衆への迎合でカッコ悪いことだと言う声がまだまだ大きかった。そうしてみると、そんな流れに立ち向かった「ロックショウ」は逆説的に「ロック体制」への反逆だったということになりますね。70年代にはポールの姿勢の方が実はアグレッシヴだったという気がしてきました。


様々なジャンルの音楽を平然と取り込んで、ライブでひとつのバンドとしてカッコ良く演奏してみせる。そんな可能性の結実だったのが1981年に観た「Rock Show」でした。
「こんなバンドをやりたい!」と見終わった後、Ayaに熱く語ったことを思い出しました。
翌春、メンバーが全員揃って再スタートを切ったBabaouoの最初のレパートリーとして"Lady Madonna"を選んだのは、まさにこの映画があったからでした。すっかり忘れていました……。


35年間、Babaouoでも種々雑多な音楽のカバーに取り組んできましたが、Satoruのライブでのボーカルスタイルには、やはりこの時のポールの影響があるようで、「Wings over America」のレパートリーをセットリストに入れると、歌がいきいきとしていつもその時のライブのハイライトになります。自分たちが目指したライブ・バンドの原点がやはりここにあったということのようです。


今年前半は仕事のリハビリ。後半はアマチュアバンド活動のリハビリ。と個人的に考えていましたが、本当にちょうど良い時に音楽活動の原点を思い出させてもらいました。


映像レストアについての感想を最後にひとこと。
レストア作業をすると、輪郭を補完して被写体をディテイルまでよりくっきりさせられますが、もともとピントが合ってないものを合わせることはできないので、結果としてフォーカスの合ってないところが以前より目立つようになってしまっていました。これはいかんともしがたいですね……。
現場の光量も感度も十分ではなかったと思いますし、特にアコースティックセットではさらに照明を抑えていたようなので、望遠で狙ったショットのピント合わせはかなり厳しかったでしょう。ちょっとカメラマン達に同情してしまいました。