Babauoù in Private Notes

アマチュア音楽ユニット、Babauoùに所属するKunio (Josh) Yoshikawaの雑記帳です。 我々のFacebook "Babauoù Book”にもどうぞお越しください。

「ボウリング・フォー・コロンバイン」のメッセージ



1999年にアメリカ・コロラド州のコロンバイン高校で起きた、二人の在校生による銃乱射事件。12人の生徒と1人の教師を殺害した後、彼らは自害しました。映画は、この事件を追うドキュメンタリー。銃社会アメリカの病理をユーモアたっぷりにえぐり出すエネルギーに満ちた作品で、今口コミでどんどん話題になっているようです。先月のうちに観たのでまだそれほど混んではいませんでしたが、今はたいへんみたいですね。朝行っても最終回の予約ができるかどうか、という混み方だとか。


この事件が起きてから、彼らがよく遊んでいたという「ビデオ・ゲーム」の残酷性が取りざたされたり、彼らがよく聴いていたマリリン・マンソンのライヴがコロラド州で反対運動のために中止になったり、全米には大きな波紋を呼びました。しかし……監督のマイケル・ムーアは指摘します。ビデオ・ゲームが最も流行っている国はアメリカではない。(もちろん私たちの国です)デス・メタルの伝統はドイツから。彼らが朝の六時から銃を乱射するまでずっと熱中していたのは、そのどちらでもなく、ボウリングでした。「マリリン・マンソンを排斥するなら、なぜボウリングを禁止しないんだ?」これがタイトルの由来です。皆が口にする「アメリカの病理」の正体とは?


彼の実証主義がとても痛快な映画です。「アメリカは銃社会だからさ」という一般論に対して、彼はアメリカよりもカナダの方が銃の所持率が高いという事実をつきとめ、彼はデトロイトから川を渡ってカナダに入ります。アメリカよりもたくさん銃を持っているカナダで、一年に銃犯罪で命を落とす人は100人台。一方アメリカでは100倍以上の1万3000人。この違いを読み解くヒントはないのだろうか。町の警察に行ったムーアは、この3年間に管内で銃犯罪での殺人は一件しか起きていないという事実を知ります。しかも、その1件は川向こうのデトロイトから来たアメリカ人が起こした事件だった、ということも。そして、カナダの人たちと話をしていくうちに、彼らが家にカギをかける習慣がない、というさらに驚くべき事実にたどりつきます。銃の所持率がアメリカよりも高い町に住む人々が家にカギをかけず、しかもアメリカの100分の1しか銃で死なないとは……。


さっそくアポなし突撃で知らない人の家の扉を次々と開け(笑)、住人と話しまくるムーア。「カギをかけ、閉じこもることによる孤立の方がよほど恐い。」そんな言葉からムーアは、アメリカ社会が人々の心に潜む「不安」をあおることで経済を活性化させてきたことを浮き彫りにします。「自ら武装しなくて未知の脅威から家族を守れますか?」「カギは三つつけなくて本当に安心できますか?」アメリカの病理がだんだん見えてきます。
「叩かれる前に叩かなくては……」どこかで聞いたような考え方。かの国を代表する人が今持ち出しているロジックの一端にもつながる精神構造……。


ムーアは、コロンバイン高校で重傷を負って生き延びた生徒達と会い、彼らの望みを叶えるため、彼らを撃った弾丸を販売したコンビニの本社に一緒に乗り込み、「弾丸をコンビニで売らない」約束をさせます。そして、最後に全米ライフル協会会長の俳優・チャールトン・ヘストンに単身で挑んでいきます。


頭から最後まで、人間自身の滑稽さに笑わせられながら考えさせられる映画でした。クレジットで拍手が思わず起こる映画というのも久々だったという気がします。拡大公開も始まったようですし、機会があったらごらんになることをお薦めします。「アホでマヌケなアメリカ白人」(Stupid White Man)という著書も売れていますが、 訳が非常に良くないので、映画を観てから読んだ方がよいかも。


この映画がもっともっと話題になればいいのに、と思いながら
最近、つい考えてしまうのは、やっぱりジョン・レノンアメリカの国家運営には邪魔な人だったのだろうな、ということ。もし、ジョン・レノンが今生きていたら口をつぐんではいなかったでしょう。そして、彼の発する言葉や音楽の影響力は、23年前に亡くなった彼のメッセージが今なお世界中で引き合いに出されることからも明らかですね。


War Is Over
If You Want It
War Is Over
Now...


(Josh)