Babauoù in Private Notes

アマチュア音楽ユニット、Babauoùに所属するKunio (Josh) Yoshikawaの雑記帳です。 我々のFacebook "Babauoù Book”にもどうぞお越しください。

シカゴの執念「ストーン・オブ・シシファス」


シカゴ。
ビートルズの「Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band」のような音楽をステージで演奏できるバンドを、とロバート・ラムが発想したのがこのグループの原点になったと聞いています。いきなり2枚組でデビューした彼らは、その言葉通り、通常のロックバンドのスタイルに加えて、ブラス・セクションを正式メンバーとして持ち、ロックの実験性とポップ性を兼ね備えた音楽性で一躍スターになります。サウンドビートルズに似ていると思う人はあまりいないと思いますが、マルチ・コンポーザー、マルチ・ボーカル、マルチ・ジャンルで縦横無尽に音楽を創造していく、まさにビートルズの"Attitude"を受け継いだグループのひとつだと思います。


シカゴ32 ストーン・オブ・シシファス

シカゴ32 ストーン・オブ・シシファス


そんな彼らが昨年発売したアルバム「ストーン・オブ・シシファス」。
別名「シカゴ32」。
でも、このアルバムは本当は1993年発売の「シカゴ22」になるはずだったアルバムです。


ビートルズは1960年代前半に大ヒットを連発し、その結果として自由にやりたい音楽をやれる権利を手にしました。
同じように1980年代のシカゴも大ヒットを連発してレコード会社に多大な収益をもたらしました。そして、その成功を足がかりに、彼ら自身が原点に立ち返り、チャートヒットソングよりもシカゴの音楽を追究しようとして取り組んだのが、この「ストーン・オブ・シシファス」です。


しかし、シカゴはビートルズと同じ報償を得られませんでした。レコード会社のトップはこのアルバムを却下し、ヒット確実なポップ・バラードを録りなおして来いと要求し、バンドと決裂してしまいます。その結果、このアルバムはお蔵入りとなりました。


当時、このできごとはとてもショッキングに感じられました。いつの間にか成功が創造の自由をもたらさなくなっていたと知ったからです。ビートルズにもたらされた自由は、シカゴにはありませんでした。それでも、当時は「きっとよほど難解なアルバムを創ろうとしちゃったのだろう」と考えて納得しようとしていましたが、今回、ついにリリースされたアルバムを聴いて、あらためてショックを受けてしまいました。


そこには、まぎれもなくシカゴのチャレンジ精神が刻まれていましたが、それでも十分にポップで、十分に心に響く音楽だったからです。まさにシカゴの音楽の集大成でした。発売中止当時のロバート・ラムのやりきれない悔しさにあらためて共感してしまいました。そして、あきらめずに15年の時を経てついに発売にこぎつけたことに心から拍手を送りたいと思います。


今、あらゆる業界に感じることですが、戦後の荒廃の中で会社を立ち上げたパイオニアたちが退き、その次のジェネレーションの人たちがトップとなっている中で、こうした文化と創造に逆行するジャッジが日常茶飯事で下されているように思います。しかし、ネット社会の発展で映像や音や文章が自由に流通するようになって、ようやくそれを崩すことができるようになりはじめました。まだ混沌状態にあるとは思いますが、強い意志と情熱の力でビジネスの枠組みを壊して良質の作品を世に問う試みは少しずつ実を結びつつあると感じています。


夢を失わず、創造の自由を妥協せずにアーティストたちには作品を作り続けて欲しいし、そういう世界の片隅に居る自分も、その心は持ち続けていたいと思います。


私が大好きなシカゴのエッセンスが凝縮された1972年の大ヒット、"Saturday in the Park"です。