Babauoù in Private Notes

アマチュア音楽ユニット、Babauoùに所属するKunio (Josh) Yoshikawaの雑記帳です。 我々のFacebook "Babauoù Book”にもどうぞお越しください。

ビートルズ&シルク・ドゥ・ソレイユ 「LOVE」

josh9092007-01-29



友人にLAに遊びに来ないかと誘われました。
病気療養中だったのだけど、ストレス性の病気でもあったので、気分転換も必要だと考えて、思い切って出かけました。
LAもとても有意義でしたが、せっかく西海岸に来たのだし、と思って、さらに思い切って一日ラスベガスに飛んで、気になっていたショーを観てしまいました。
dream9さんの感想に刺激を受けたのもきっかけのひとつです。
以下、当日の実感です。実感に即して文体は言い切りに変えてます。あしからず。


会場のミラージュ・ホテルには1時間前に到着。パンフレットを買って座席へ。
せっかくなのでポップコーンとコークも買う。カップも「LOVE」仕様になっている。これは捨てられないな。


すり鉢状の会場で、六方向から花道のようなものが中心のステージに向かって伸びている。
最前列の席を取ったのは、位置が低すぎて失敗だったかな、とちょっと思ったが、結果としては全くそんなことはなかった。


19時。
場内が暗転する。
ジョンが「そろそろやる?」(英語で何て言ってたか忘れちゃった)とひと言。
いきなり心をつかまれる。


アカペラで歌い出される「Because」。
天井からたくさんの綱が下がり、下からパフォーマーたちがゆっくりと登っていく。
無機質だったステージが、人間の肉体に飾られることで、生きた空間に変わっていく。
このことの意味がすごく深いものだと、すぐに思い知らされることになる。


ジャーン!「A Hard Day's Night」の冒頭のギターが響く。
リンゴのドラムがそれを受け、8ビートでソロを刻む。
コードAのギターのカッティングが加わる。短いソロの応酬。
ステージをぐるりと囲む出演者の動き。照明、映像効果。どんどん場の空気が盛り上がっていく。
気がついた。この音源はあちこちの曲を「面白く編集する」というのが狙いなんじゃない。
ビートルズの「ライヴ」を作りたかったんだ!
G、Dとコードが動く。そして、ポール・マッカートニーが唄いだした。
ウイングスの、ではなく、ソロ・アーティストの、でもなく、まぎれもない「ビートルズポール・マッカートニー」が”Jo Jo was a man…”と唄いだした。
その瞬間にもう涙が止まらなくなった。


会場をめいっぱい使って動く、シルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマンスの中心、
ステージのど真ん中に、僕は演奏する4人のビートルを見た。
そこに特別なスポットが当たるわけでもなく、空間をあけてあるわけでもなく、それらしい人物がそこに居るわけでもないのに、生演奏する本物のビートルズをそこに感じてしまった。


ビートルズの曲をバックにして演じられるシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマンスを観に来た、と思っていたのに、実際はその逆だった。
フロントはビートルズの方だった。
シルク・ドゥ・ソレイユをバックに従えたビートルズのライヴがあったとしたら、それはこういうものだ!というショーを観たのだ。


仮に、1969年のビートルズが、あの頃の予定通り大がかりなショーをやることにしたとして、しかもラスベガスで行うことにしたとして、その時に時空を超えて、今のサラウンド音響システムと映像効果システムと、シルク・ドゥ・ソレイユという先鋭的なサーカス集団があったとしたら、こういうショーをやったに違いない、というステージ。


だから、音源は全てビートルズのメンバーか、当時のサポート・ミュージシャンの演奏でなければならなかった。
リンゴ風の別のドラマーではダメ。ドラムを加えるならリンゴ・スターの、あのグルーヴでなければ。
ジョンのリズム・ギター、ジョージのリード・ギター(ポールのもあるけど)、ポールのベースでなければ。
誰も代わりはできない。


そして、もし彼らがライヴをやるとしたら、スタジオ録音のままの再現など絶対に望みはしないのだから、「Within You Without You」にリンゴがビートを加え、「Lady Madonna」にギター・ソロやビリー・プレストンのオルガンソロを加え、「What You’re Doing」をもっとカッコ良くするために「Drive My Car」とメドレーにするぐらいは平気でやるだろう。
ジョンのことだから「『Sun King』やるなら逆さまからやろうぜ」ぐらいのことはきっと言ったに違いない。
ポールが「LOVE」の音源に関するインタビューで「もっと過激にすればよかったのに」と言った意味もようやくわかった。
ビートルズならもっともっと仕掛けるに違いないのだから。


そして、シルク・ドゥ・ソレイユのビジュアルはそれを全く裏切らない。
後期のビートルズならビジュアルをこう仕掛けるだろう、と誰もが思える演出がたっぷり施されている。
映像効果、照明効果、観客の巻き込み方、ふざけ方、肉体を駆使したパフォーマンス。
ジョンやポールやジョージやリンゴが思いつきそうなアイディア、誰か別の人間が出したとしても、彼らが気に入りそうなアイディアばかりだった。
ペパー軍曹の登場はもちろん、ペパーランドの住人たちが現れ、消防隊は踊り、28IFというナンバーをつけたワーゲンが行き交い、ルーシーもブラックバードも空を飛ぶのだ。
しかも、ファンタジックでアクロバティックな仕掛け満載!


ステージ上に感じられたコンセプトは、
・ 目に見える「Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band」
・ 肉体を持ったアニメの「Yellow Submarine」
・ 計算された「Magical Mystery Tour」(^^;
という印象。


ビートルズを知らないとしても、サイケデリックでとてもユニークなパフォーマンスになり、知り尽くした者には「ビートルズのショーならこうでなくちゃ!」と思えるパフォーマンスになる。
演じている全てのパフォーマーと、それを指揮するディレクター&プロデューサーのビートルズに対するリスペクトが満ちあふれているから、ステージの真ん中に、居ないはずのB4が見えるのだ。
シルク・ドゥ・ソレイユは明らかに最高のパフォーマンスをもって、ビートルズのバックを務めていたと思う。
サーカスネタの「Mr. Kite」などは両者の持ち味が完全に重なってもう完璧だった。


生まれて初めてビートルズのライヴを観た。
そうとしか思えなくて、本当に心が震えた。


そして、さらに心に追い打ちをかけてきたこと。
ビートルズのライヴを観たということは、生涯観られないとあきらめていたジョン・レノンのパフォーマンスを観た、ということになる。
ジョンのギターの音。ジョンのコーラス。ジョンのリード・ボーカル…。
それを今、ライヴで観て聴いている、という実感。


これは大変なことだ。
ビートルズファンになって40年近くなる。でもビートルズ来日、武道館公演の時にはまだ4歳。行けるはずもなかった。
その後、長い年月を経て、ポール・マッカートニーを生で観ることが出来、リンゴ・スターを生で観ることも出来、ジョージ・ハリスンのライヴも今思えば奇跡的に観ることができた。
でも、どうしても無理に決まっていたはずのものを、今、体感してしまった。
もちろん「疑似」には違いないのだが、そんなことは関係なかった。
感じてしまったのだから。
ネットで先行試聴した時には気に入らなかった「Strawberry Fields Forever」でさえ、ジョンがあたかもアコースティックギターを抱えてスツールに腰かけて唄いだすかのように「ワン・ツー……」とカウントしはじめたら、もうダメ。涙があふれて来て止まらない。


フェードアウトするはずの曲を完奏させていたり、メドレーにしたり、という曲が多いのもこれで納得。
Hey Jude」が「Sgt.Pepper (reprise)」につながり、アンコールとして演奏されるのが「All You Need is Love」〜「Good Night」というのも正に後期ビートルズのショーだった。


以前、ニフティ・サーブのビートルズ会議室というコミュニティーで、「もし1970年にビートルズが解散を回避してライヴをやったとしたら」というテーマで、仮想ライヴのアイディアを披露しあったことを思い出す。今日見たものは、まさにその具現化だった。


今、世界でただ一ヵ所ビートルズのライヴを体感できる場所がある。
それは本当に凄いことだ。
もし病気だった耳が完治していたら、もう1ステージ観たことは間違いない。
大音量の音を聴くのが久しぶりで、耳の痛みが悪化してしまったのが唯一の心残りだった。
あのステージはきっといつか日本にも来るだろう。
必ずもう一度観たい。