Babauoù in Private Notes

アマチュア音楽ユニット、Babauoùに所属するKunio (Josh) Yoshikawaの雑記帳です。 我々のFacebook "Babauoù Book”にもどうぞお越しください。

「壬生義士伝」の迷い


今取り組んでいる仕事と若干関係のある素材を扱った作品なので以前から関心を持っていたのですが、そろそろ上映が終わる今になってようやく観に行きました。


壬生義士伝 [DVD]

壬生義士伝 [DVD]


新選組の隊士としては有名ではないけれど、1,2を争う剣豪であったと伝えられる吉村貫一郎の生涯を、彼を知る二人の人物の回想を軸に描いていく映画です。
結論から言うと、あまり好印象ではありませんでした。


お客さんを「泣かせよう」とする気持ちがあまりにも透けて見えてしまったのです。画面の向こう側だけで一方的に感動しているような印象を受けました。
吉村という人物の「守銭奴」ぶりとその背後にある彼の「家族愛」がこの物語のキーになります。彼は同胞の隊士が死刑になるときの介錯係を「手当」のために積極的に引き受け、武士にあるまじき態度とそしられます。でも、彼は全く気にしませんでした。故郷の盛岡で貧困にあえぐ家族を救うためなら、自分が何と言われようとかまわなかったからです。


しかし、新選組が崩壊するという段になって、彼は「義」を選んでしまう。このままなら「死」が確実で、倒幕側に寝返ればより高い手当を保証されたのにも関わらず、です。


このあたりがどうもうまく描き切れていなかった感じ。どっちつかずに見えてしまったのです。「手当」を惜しみなくくれた近藤勇に命を預ける、という義理がたさでもよかったし、「家族」に十分なだけは稼いだから、これまで背負ってきた生き方を清算して武士として死ぬ。でもよかったのですが、全ての局面で吉村を「正しく」描こうとして、しかもあらゆるシーンで「泣き」を優先しようとするあまりに、全部が感情過多なシーンになってしまって、彼の生き方がもうひとつ納得できない展開でした。これは吉村を演じた中井貴一の演技というよりは、シナリオの上に構築した世界観の歪みのような気がします。


佐藤浩市が演じた厭世的な新選組隊士・斎藤一(物語の語り部の一人)の方が、クールな中の密かな「熱さ」を感じさせて好印象です。その結果として「主役」が誰なのかもややぼやけてしまいましたが。


盛岡時代を知る吉村の親友の息子と、新選組斎藤一の二人の回想をつなぎ合わせて一つの物語を語る、という着想などには工夫が伺えるだけに、それが良い形で活かせていなかったのは残念でした。


それにしても、たぶんプロデューサーの主張であったと推察される「泣き」場面の多さには、少々さびしい気持ちになりました。「感動させよう」という着想にはすでに「感動」は無いと思います。そこには「商売っ気」があるだけです。


まず自分の中に感動があり、それを誰かに伝えたい、という気持ちが作品に込められたときに初めて作品は感動的なものになるということを忘れずにいたいと思います。もちろん採算をとらなければならない「商業」であることは確かなのですが、それだからこそ創り手が失ってはならないものだという気がします。