Babauoù in Private Notes

アマチュア音楽ユニット、Babauoùに所属するKunio (Josh) Yoshikawaの雑記帳です。 我々のFacebook "Babauoù Book”にもどうぞお越しください。

トランスフォーマー

josh9092007-08-15



大好きでした。
実は、映画なんか観てる場合じゃない状況なんですが(汗)、
自分が取り組んでいるものとは全然違うカテゴリーの作品であるにも関わらず、
仕事上の壁の打破へのきっかけをもらった気すらしています。


とにかく、まったくヌルくない作品でした。


ロボットものSFと言ってよいのかな。
宇宙から来た金属生命体という設定だから、厳密にはロボットではないんですが、
まあ、見た目がああですから。


で、たぶん私の一世代上以降の「正義のロボットもの」世代の人には、
それぞれのジェネレーションなりに熱いものを届けてくれる映画だったと思います。
上映時間2時間24分が本当にあっという間でした。


鉄人28号がホントに居たらなあ。
マグマ大使がホントに居たらなあ。
ジャイアント・ロボが、マジンガーZが、ゲッター・ロボが、ガンダムが……。
子供心に憧れた巨大ロボットを持っている人には必ずどこか響くものがありそうです。
私にとってはあのトランスフォームはゲッター・ロボの現実化でした。
トランスフォームして巨大ロボット化するプロセスをどうしても見せたかった、
という熱は十分に伝わってきます。これでもか、というくらい徹底的に見せてくれました。


しかもそのロボットが善と悪に別れて闘う。
悪の親玉は「北斗の拳」のラオウみたいなことをバンバン言うし、
本当にラオウみたいな決着が待っていたりするし、
日本の伝統的なコミック&アニメのストーリーラインの系譜を
スタッフの誰かがものすごく愛し、熟知していたと思います。
何げに日本に言及するところも随所にあって、
日本のSFアニメの価値を認めない人への痛烈な一撃も用意されています。


しかし、そういうコミック的アニメ的なノリが全開なだけに、
実写の物語としては細部の突っ込みどころも満載で、
主人公と善玉ロボットが知り合っていくプロセスが後から考えると都合良すぎたり、
ピンチになる流れや、ピンチを脱出する流れにかなり無理があったりするんですが、
たぶんつじつまを合わせることを優先すると話が小さくなったり説明くさくなったりするから、
迷った時には「カッコイイ方を選ぶ」という判断が徹底してなされていたように思います。
決めゼリフを言えなくなるくらいなら、このシビれる絵を見せられなくなるくらいなら、
つじつまなんてクソ食らえ、という態度。
この態度にやられました。
とにかく徹頭徹尾その熱さを貫いてくれたおかげで無茶苦茶楽しかった。


でも、このことって実は恋愛映画や、ヒューマニズムを追求するドラマにも言えることです。
いや、つじつまを合わせないことではなくて、「ヌルくないこと」の方。
目的に向かって、いちばん大事なことを見定めたら、
時にはそれ以外のことを蹴散らしても、目的に熱く取り組む。
その熱さが受け手の心に伝わる、ということ。
今の自分の仕事でも、思い切って蹴散らさなくちゃいけないものがあることを思い出させてくれました。


音楽も一緒ですね。
たとえ演奏技術が大したことなくても、そのバンドが(あるいは個人が)目標とするところが明確で、
それを表現したい思いと表現する姿勢がヌルくなければ
技術の巧拙に関わらず絶対に伝わる音楽が演奏できると思います。
もちろん、演奏技術を追求する人がダメだと言っているのではなくて、
ギターの速弾きも、それに命を賭けている人がいますし、
命賭けた速弾きが心に響かないはずはないですね。


目標に向かう気持ちをヌルくしないこと。
煮詰まっていたから娯楽映画で気分転換と思って観に行ったのに
何だか思いのほか大事なことを教えられてしまったような気がします(笑)。


最後にこっそりもうひとつ思ったことを。
スピルバーグは自分で監督しなかった理由を、
雑誌のインタビューでマイケル・ベイの映像の情報量の多さを買った等と説明していましたが、
本当はシナリオのドラマ部分のツメが弱かったせいかな、とちょっと思いました。
スピルバーグが自分で監督すると、ドラマ部分の骨格の弱さは絶対に許してもらえないけれど、
マイケル・ベイなら、そこを捨ててビジュアルをアツく攻めたという姿勢が「潔い」と思ってもらえると踏んだのではないかな、と。
ちょっとうがちすぎかな。
でも、もしこの読みが当たっているとしたら、スピルバーグはやっぱりエンターテイナーとして天才だと思ってしまいます。


追記:この記事を書いてからプログラムを読んで、実はちゃんと原作がある作品だというのを初めて知りました(汗)。
しかも、アメリカで原作コミックのプロジェクトを仕掛けたのはタカラなんですね。どうりで。
日本でも放送していたんですね。それも1985年あたりから、とか。全然知らなかった……。
でも、原作をまったく知らないそういう人も楽しめる仕上がりになっていた、ということですね。
この追記を書きながら今気付いたんですが、金属生命体の様々な設定のいくつかに永井豪の「デビルマン」「魔王ダンテ」に通じるところがあります。
彼らは本当に「デーモン族」のような存在でした。そして悪玉のトップは北極で凍結されているのです。原作の世界観を作った人たちの中に知っている人がいたのかもしれませんね。