Babauoù in Private Notes

アマチュア音楽ユニット、Babauoùに所属するKunio (Josh) Yoshikawaの雑記帳です。 我々のFacebook "Babauoù Book”にもどうぞお越しください。

チェ・39歳別れの手紙


こっちはなかなか微妙でした。


聞いていた通り、より一層ドキュメンタリー的な作りになっていました。
三脚を据えない手持ちカメラのショットが前作よりも倍以上増えて、その不安定感が映画の空気を支配し、会話の途中であえて次に飛ぶ、というドキュメンタリーっぽい編集も多用されていました。
ベニチオ・デル・トロは凄まじい減量を成功させ、前作とは別人のようにやつれた(ただし、信念は曲げない)チェ・ゲバラを変わらず好演していました。


ただ、前作でゲバラの信念が貫かれ、キューバ革命が成功するまでを既に描き終えているので、今回は、同じ理想を同じ信念と同じ方法で行っても同じようにうまくはいかない、という話を頭から最後まで見続けることになります。


一度も何かがうまく運ぶことはなく、味方でなければならないはずの農民に居場所を密告され、次第に仲間が死に、自らもついに捕らえられ、「キューバの失敗はかつてカストロを生かしておいたことだ」と考えるボリビア政府によって、無残に殺されるまで。
ひたすら落ちていくだけの映画です。


この作品は、前作「28歳の革命」とセットで観ることで、初めて振れ幅のバランスを獲得できるという気がしました。単独ではちょっと厳しいのではないでしょうか。実際、ドキュメンタリーを作るとしても、この作りにはしないと思います。かといって、両方合わせた4時間半の映画として公開することは今は不可能であることも確かです。


では、どうすればよかったか、とつい考えてしまうわけですが、
例えば、(なんていうのはおこがましいのですが……)
革命が成功した前作の終わりに続く、成功した革命家の日々、というストーリーが本当は前作と今作の間にあるはずで(前作でモノクロ映像で一部ありましたが)、今作で、もしその部分を描けていたら、印象はまた変わったのではないかと思います。


革命を一緒に戦ったアレイダと結婚し、子供を持ち、経済的にも豊かになり、世界中に知られる英雄となった人生。
それは確かに幸せで、でも、このままで良いのか、と感じたゲバラは悩み、苦しんだ末、カストロに別れの手紙を書いて失踪し、ボリビアへ向かう。
そこまでの部分を描いてくれていたら、一本の映画としての構造がもっと起伏に富んで立体的になり、ゲバラが何故今度は読み誤ったのか、という考察も掘り下げることができて、幅が出たのではないかと感じます。
ソダーバーグほどの人がそこを見落としているはずはないと思うので、熟慮の末、あるいは、その部分を描くことに何かの障害があったのかもしれません。
描き出された映像&音はすべからく迫真の仕上がりだっただけに、個人的には本当に惜しかったと感じました。


ラストカット、ヘリコプターで運ばれていくゲバラの死体からオーバーラップしてくる、キューバに向かう船に乗っている若きゲバラの緊張に満ちた表情はやはり秀逸で、既に見終えた彼の人生全てがその表情の中に刻まれています。
彼はあらかじめ全てを覚悟し、受け容れていたのだ、と観る者はそこで気付かされることになります。
ベニチオ・デル・トロ、恐るべし。